インド最先端プログラム記録 観光編Part.1
2025/04/14
静野友建
こんにちは!緒方君に続いて私、静野がインド最先端プログラムに行った記録を書いていきます。
私が書くのは、プログラム4、5日目のデリー市内の世界遺産観光などについてです。
前回のあらすじ
緒方君が企業の方の話のあまりの尊さに七転八倒したうえで爆発四散した話はこちらから見てね!
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4日目
クトゥブ・ミナール
クトゥブミナールはインド最古のミナレットであり、また世界で最も高いミナレットでもありました。

ミナレットとはイスラム教の礼拝堂であるモスクなどと一緒に建てられる塔のことです。
また、クトゥブミナールの周りには遺跡群があり、その見学もしました!
遺跡群はクトゥブ・ミナールと共にある通りとても広く、各所に細かい衣装も施されていて当時の方々がどれだけ宗教というものを重要視していたのかがよく感じられました。


実は当時、より高いミナレットを作ろうとしていて、建築途中で止まってしまったものが今でも残っています!その止まってしまった理由は、それ建てることを命じた王様が途中で死んでしまったかららしいです。

また、遺跡群の中にはその王様の入っているらしい石棺もあり、それをみんなで撮っているところを見て、中にいるであろう王様の気持ちを想像すると…少し面白かったです!

さらに、なんとクトゥブミナールの地下には牢獄があって、その入り口の階段は金格子で閉じられて今でもみることができます!

ディリ・ハート
ディリ・ハートはデリーの有名で伝統的な市場で、そこで衣服やアクセサリーに置きもの、お守りや簡単な楽器など、様々なものを買うことができました!


私は私のバディや他の同級生、そのバディと一緒に様々な店を巡り、ネックレスやインドの伝統的な服などを購入しました。
ただ、それらは思いのほか高額で、後日聞いた話だと値切りをするバディもいたとのことなので、旅行先の値札のついてない商品には気を付けないといけないと感じました!
そのあとは全員で昼食、チャーハンやモモという小籠包のような見た目の料理を食べました!


その際モモに赤いソースがついており、それに付けて食べるとのことでしたが、私にはかな~り辛く、何度か付けて食べてからはそのまま食べていました…。また、それがインド人には普通程度の辛さであると聞いた時にはとんでもなく驚きました!
もしかしたら、インド人がとても辛いと感じるものを私が食べると、辛さで救急車を呼ぶ事態になってしまうかもしれませんね!
ただ、それでもその赤いソースはインド人でも辛い物は辛いらしく、他の一人のバディが立ち上がり、それを一気飲みしたときは全員が盛り上がり、さすがだと感じましたが、それと同時にそんなことをして大丈夫なのかと心配にもなりました。
スラム
スラムは不必要品の所持が不可だったため写真を撮ることができませんでした。
スラムは皆さんの予想通り臭いや衛生面は良くなく、またもともとあった建物に違法に新しい階を建てて、それで作った部屋をほかの人に貸す、という今でいうアパートの大家のような稼ぎ方をする人がいたらしいです。その関係で建物と建物の間が非常に狭く、さらにそこをバイクが通るなど、閉塞感がある場所でした。
しかし、それに対して住民の方々の雰囲気は明るく、また内容の安全性はともかくケーキ屋や駄菓子屋さんのような場所もいくつか見られたので、目も当てられないようなひどい場所、のような印象を持っているのならそれは改善する必要があるなと感じました!
5日目
タージ・マハル
タージ・マハルは全てが大理石でできた巨大な墓廟(故人を供養し祭るための建造物)で、日本でいう古墳のような建造物です!イスラム教は一夫多妻制で、一人の男性は4人まで女性を娶ることができます。当時の王様、シャー・ジャハーンが、4人のお妃様の中でも最も愛していた一人のために建てたとされているのがこの、タージ・マハルなのです。


もちろん、皆さんは(イスラム教に入信してそれが認められている国に住まない限り)複数人の妻を作ってはいけませんし、作ったとしてもその中に差があってはいけませんよ!
また、タージ・マハルの周りには4つの塔があるのがわかると思います。それらはなんと、少しだけ外側に傾いているのです!
それはいったいなぜなのでしょうか。その理由は2つあります!
1つめは万が一地震などの事故があって倒れてしまうことがあった場合、外側に倒れるようにするためです。内側に倒れて肝心の墓廟が潰れてしまっては大惨事になってしまいますからね!
2つめは、遠近法で中央のタージ・マハルが実際より大きく見えるようにするため!王様やそれを作る人たちからすれば、ここまで大きく、細やかに作った以上、可能な限り大きく見せたかったのでしょうね!
タージ・マハルの内部は撮影不可でしたが、とても広く、外装と同じく細かい意匠が数多く施されていました!
タージ・マハルの周りは砂岩でできた赤い壁に囲まれており、南門(正門)、東門、西門があります


今では有名な観光地となっていますが、当時は東門と西門はそれぞれ男性、女性のみが通れて、南門は王族だけが通ることができたらしいです。
シャー・ジャハーンは当時タージ・マハルの反対に黒いタージ・マハルを建てようとしたといわれています。イスラーム建築の原則に対称性というものがあるらしく、それに則していないことから建てようと考えていたらしいですが、結局建てることはなかったようです。いまでもその跡地とされているところが残っています!

ここまでの感想
この2日間では、全体を通しても特にインドの歴史的・文化的な部分がよく感じられました!
ガイドさんの話を聞いたり調べたりする中で、観光した場所の詳しい歴史などにも触れることができて、また市場での商品を見る中でインドの文化について少しでも知ることができました。
パソコンなどで調べることはできても、実際に見て、触ることは貴重な経験になったと思います。
まぁなんだかんだ言ってショッピングが一番楽しかったんですけどね!
Part.2につづく!
ぜひ大隅君の書く観光編Part.2もご覧ください!